日本で言うところの

物凄く極端な例を挙げると

これに対して日本、この国で言う本来のメイドとして働いている人たちがどれくらいいるかという話になる。家事手伝いをする人、仕事としては実際それなりの数が存在しています。この国ではメイドや家事手伝いというよりは『家事代行サービス』、といった物が分かりやすいでしょう。自宅で家事をしている人なら出来る、そう思うと難しい事ではないと思います。ただ潔癖症な、他人の洗濯物や屋内をなんで掃除しないといけないのか、そう思う人には向かない仕事だ。なにせ依頼人のプライベートに密接なまで関与するのでそういったことに分け隔てなく携われる人でなければならない。

それでも想像出来ないという人は、物凄い極端な例ですが『家政婦は見た!』を一度拝見してみると良い。ドラマなのでフィクションの部分は多いものの、本来のメイドとはこういう地味な仕事をしている人たちなんです、を上手に再現しています。たまに家庭内のプライベートを見て関わったり、冷蔵庫の中にある高級食材を勝手に食べたりと、かなりぶっ飛んだ行動をしていますが、当然許されていないのも理解しよう。そんなことをすればトラブルの火種になる上、働いた先の家について話したりすればプライバシーの侵害とみなされて裁判問題、なんて展開もありえる。

日本でのメイド、特にメイドカフェでの振る舞いは極めて異質なものだ。かつてこの国のメイド、いわゆる奉公をしていた人たちからすれば何がどうしてこうなったんだと疑問に感じていると思います。

昔でいうところの奉公とは

日本の家事手伝い、その本質は武家社会から始まり、系統はなんと高度経済成長期まで続いていたと言われている『奉公』というものだ。農村出身の少女たちが商家などの裕福な家へと出稼ぎに出され、そこで働きながら仕送りをするというものになる。中には奉公とは名ばかりで体のいい人身売買が行われていたとも言われていますが、当時を思えば無くはない。少女、それこそまだ年端もいかないような幼い少女が働きに出されるのが普通だった社会において、奉公をすることで家の苦しみを助けるのが普通に執り行われていた。未成年が働けるのかといえば、その時代に労働基準法なんてものは存在していなかったので、当たり前に働けた。

一見すると良い物ではないように見えますが、奉公についての考え方や見方も変質していき、逆に良い機会だとして積極的に利用されるようになっていくのです。これにも当然訳があります、それは自分たちの家庭では出来ない見聞を広めてもらうため、これが大きく関係していた。

子女の振る舞いを学ぶ

武家社会から始まった奉公は江戸時代末期まで、仕えることとお金が支払われること以外に存在しなかった。ですが昭和の時代に入り、奉公をすることで自分たちでは教えられないような子女の立ち振舞、世界の観覧、さらには花嫁修業といったことも含まれていたのです。これは戦後において大きく見られた傾向で、女性が働く就職先としてこれほど便利なものはないといったように、当たり前に就活先の候補に挙げられていた。

寛容に受け入れられたのには、身元がしっかりした家庭での奉公で心身ともにきちんと成長出来るという安心感あっての選択だという。確かに工場で女工として働くよりは側にいなくても安心できるという面はある、とはいえ奉公に出したから金銭的なものも期待できるかと言えばそんなことはなかった。一般的に奉公で訪れた女性に支給される給金は寡少で、とても両親を支えるといったものにはならない。ただその一方で嫁入りにおいては嫁入り道具や祝儀などで代償されていたため、そうした負担を出来ない家庭で生まれた少女たちは自然と奉公をするのが当たり前なのだったようだ。

そのせいか、婚姻をすることになった女性は自然と雇用関係が終了する事を意味しており、採用されるのも未婚の女性に限られていた。今では結婚していようがいまいが、働く意欲さえあれば誰でも採用されます。

メイド、ではなく使用人

ちなみに言えば高度経済成長期頃まで普及していた奉公で訪れた少女たちのことは『使用人』と呼ばれていた。中には『メイド』とも呼んでいた人がいたようですが、これは当時にすれば『西洋かぶれ』だと罵られており、一般的に使用するほうがおかしいとみなされていたという。今でも普通の日常会話で『メイド』という単語は出てくることはありませんが、日本的に言えば家政婦や家事手伝いといった言葉が適切でしょう。家事手伝いというと就業していない女性を意味する言葉にも見えますが、わかりやすく言えばメイドや使用人とはそういう括りに位置している。

今の時代のメイドはおかしい

ここまで来ると分かりますが、日本で普及しているメイドという価値観がいかに歪曲されたものなのが分かるはずだ。筆者は元からメイドという人たちに対して、日本的な価値観とは違うだろうとは思っていましたが、こう改めて調べてみるとどうなんだろうと思う。どうしてここまで変質したのかと言うと、その原因にはやはりオタク文化による改悪が絡んでいた。要するに、一部のクリエイターたちによる妄想が暴走を引き起こし、メイドをこんな風に定義したら面白いんじゃないかなと創作意欲が働いて完成されてしまいます。

結果、今日までに作られたアニメや漫画、小説などの作品で登場するメイドの方向性が絶妙におかしな方向にシフトしているのを理解しないといけない。では本来のメイドとはいかなるものなのか、それを知りたい人は漫画家森 薫さんが著した『エマ』という作品をご覧頂きたい。この作品では本来のメイドとはどんなものなのか、リアリティに基づいて執筆されている。また日本でも屈指のメイド好きとしても知られているので、知らないという人は一度読んでみよう。ちなみに、この方は女性だ。

メイドカフェから見る、日本の歪曲されたメイド像